日本!このままで大丈夫?
今朝は、本当に寒く、赤城も、桐生北方にそびえる根本山も吹雪いているのか、雲に覆われその姿が見えない朝の模様であった。日中も本当に身を切るような赤城おろしに震えが止まらない。
それもそのはず、今日は典型的な冬型の気圧配置で、寒気団に日本中が覆われているとの気象情報であった。これが、本来の冬の姿なのか?
2月4日に、この地域の「雪」について、春の到来の兆しだとか、雨となってしまうのは、異常気象だとかコメントしたが、同様の話題がTVで放映されていた。
それによると、通常は関東地方まで(南方まで)覆い、雨雲は南から関東地方に近づけず、日本海側の雪雲は山脈を越えて来られないので、冬は晴天が続き、空っ風が吹くのだが、今年はこれまで寒気団が弱く、雨雲が関東南岸に近づいた結果、雪になったり、雨になったりしているようだ。逆に日本側の北陸地方では例年に比べ雪が少ないらしい。
これも異常気象の一部らしい。南極の上空ではオゾン層が崩れ、北極海の氷は巣凄まじい勢いで解け、砂漠化が進み…といった一連の異常気象は、近代化の負の遺産として、本当に人事でなくなっている。
昔読んだ書物に、「西洋文化は自然との戦い…自然を克服することの上に成り立ち、日本の文化は、自然との協調…自然と共存することの上に成り立つ」といったものを呼んだ記憶がある。
また、幕末に漂流し、米国の捕鯨船に助けられ、薩摩を始め日本の近代化に貢献した土佐の漁師である、ジョン万次郎の漂流記にもあるように、当時の捕鯨船は油の取れる鯨の皮膚など必要なところを取ると、赤身の鯨肉はそのまま海に投棄していたらしい。
効率よく蝋燭用の油を採取し油だけを満載して、本国に寄港するためである。油は暗い夜を克服するために西洋にて活用された。
一方当時、土佐湾に鯨が迷い込むと、漁師と言う漁師が協力して追い込み、捕獲した後は、鯨油は勿論、鯨肉から、骨まで余すところがなく持ち帰り、一村が潤うほどであったとも記載されている。
日本では、水田は天然のダムとなり、手入れされた里山は、材木や薪を採取し、猟師も漁師も、ありとあらゆる産業において、必要な採取を行った後は、次を育てる手段を講じていた。
先ほど訪問した、みどり市の木工場の管理者によると、最近では里山を管理する林業関係者が少なくなり、間伐を行うこともなくなり、老木が増え、間伐をしても間伐材を山から下ろせないので、放置し、それが、里山を破壊していると惨状を嘆いていた。
生育の早い竹林はもっと悲惨な状況らしい。
衰退しているのは、農業だけではなかったようだ。
確かに、食料自給率の低下、補助金漬けの農業、被効率的な日本農業、米食文化の衰退と米の消費減少等など根深い問題もある。
しかし、何故こうなったのか?今の政府の無策も問題だし、自立が出来ず、既に後継者もいなくなってしまった多くの農家にも問題がないわけではないだろうが、少しばかりうがった見方でみると、米国の国策の犠牲になってしまったわが国の農政があるのでは?と思えてならないが皆さんはどう考えるだろうか?
それは、戦後の農地開放と、小麦の輸入政策にさかのぼる。
戦後食料危機…飢餓状態にあった日本に米国は小麦を大量に輸出した。始めは支援であったが、条件として学校給食等にパン食を導入したり、小麦を使う西洋料理教室の開催など、積極的に麦食文化導入を実施した。お陰で我々の食文化は膨らみを増した。
当時生産過多状態にあった米国の小麦の一大消費地としての日本があったことは紛れもない事実とは考えられないか?
農地解放についても、一部の豪農の保有する農地を多くの小作人に分け与え、国民総中流社会の実現をみる大きな転機となったが、一方で、その後平成の時代まで保有限界とされた、2町歩(2ヘクタール)で生産可能な米はおおよそ金額にして2百万円一寸。
最近では、米の自主流通も出来るようになったが、政府で米価と耕地面積が規制されては、競争原理も働かず、農業の振興が可能なはずはないだろう。
一方で、機械化により耕作可能面積が増え、産業復興と共に2次産業等他の事業従事者の平均所得が増え、貨幣経済がどんどん進む時代にあっては、天候等数々のリスクを抱えながら専業農家から兼業農家へ兼業農家から離農へ繋がるのは自明の理である。
そして、極めつけは、日本国民の食生活として、パン食を始めとする小麦、牛肉など西洋食文化がしっかりと根付き(それは小学生のときから、毎日食べていますからねえ)、農家同士の競争も競争力もなくなったところに、貿易摩擦の解消と称して、米国がそれまでお家芸のように行ってきた保護貿易…関税障壁の撤廃要求が来る。
完全に米国の長期政策通りでは?と考えるのは私だけであろうか?
確かに相当今回のコメントが偏っていることは筆者自身も自認するところであるが、あながち大はずれということもなかろう。
食の安全、食の自給率が国力に繋がること(これは大東亜戦争にて当時の国民が心底味わってきた苦い経験)、そして輸入食材がなければ成り立たない我々の食卓。もう一度、政府だけでなく、市民が真剣に取り組まなければならない問題ではなかろうか?
次は必ず、工業製品で同じ波がやってくる。今度は米国の政策ではなく、日本人そして、日本企業が自ら撒いた種がすくすくと芽生えている。
それもそのはず、今日は典型的な冬型の気圧配置で、寒気団に日本中が覆われているとの気象情報であった。これが、本来の冬の姿なのか?
2月4日に、この地域の「雪」について、春の到来の兆しだとか、雨となってしまうのは、異常気象だとかコメントしたが、同様の話題がTVで放映されていた。
それによると、通常は関東地方まで(南方まで)覆い、雨雲は南から関東地方に近づけず、日本海側の雪雲は山脈を越えて来られないので、冬は晴天が続き、空っ風が吹くのだが、今年はこれまで寒気団が弱く、雨雲が関東南岸に近づいた結果、雪になったり、雨になったりしているようだ。逆に日本側の北陸地方では例年に比べ雪が少ないらしい。
これも異常気象の一部らしい。南極の上空ではオゾン層が崩れ、北極海の氷は巣凄まじい勢いで解け、砂漠化が進み…といった一連の異常気象は、近代化の負の遺産として、本当に人事でなくなっている。
昔読んだ書物に、「西洋文化は自然との戦い…自然を克服することの上に成り立ち、日本の文化は、自然との協調…自然と共存することの上に成り立つ」といったものを呼んだ記憶がある。
また、幕末に漂流し、米国の捕鯨船に助けられ、薩摩を始め日本の近代化に貢献した土佐の漁師である、ジョン万次郎の漂流記にもあるように、当時の捕鯨船は油の取れる鯨の皮膚など必要なところを取ると、赤身の鯨肉はそのまま海に投棄していたらしい。
効率よく蝋燭用の油を採取し油だけを満載して、本国に寄港するためである。油は暗い夜を克服するために西洋にて活用された。
一方当時、土佐湾に鯨が迷い込むと、漁師と言う漁師が協力して追い込み、捕獲した後は、鯨油は勿論、鯨肉から、骨まで余すところがなく持ち帰り、一村が潤うほどであったとも記載されている。
日本では、水田は天然のダムとなり、手入れされた里山は、材木や薪を採取し、猟師も漁師も、ありとあらゆる産業において、必要な採取を行った後は、次を育てる手段を講じていた。
先ほど訪問した、みどり市の木工場の管理者によると、最近では里山を管理する林業関係者が少なくなり、間伐を行うこともなくなり、老木が増え、間伐をしても間伐材を山から下ろせないので、放置し、それが、里山を破壊していると惨状を嘆いていた。
生育の早い竹林はもっと悲惨な状況らしい。
衰退しているのは、農業だけではなかったようだ。
確かに、食料自給率の低下、補助金漬けの農業、被効率的な日本農業、米食文化の衰退と米の消費減少等など根深い問題もある。
しかし、何故こうなったのか?今の政府の無策も問題だし、自立が出来ず、既に後継者もいなくなってしまった多くの農家にも問題がないわけではないだろうが、少しばかりうがった見方でみると、米国の国策の犠牲になってしまったわが国の農政があるのでは?と思えてならないが皆さんはどう考えるだろうか?
それは、戦後の農地開放と、小麦の輸入政策にさかのぼる。
戦後食料危機…飢餓状態にあった日本に米国は小麦を大量に輸出した。始めは支援であったが、条件として学校給食等にパン食を導入したり、小麦を使う西洋料理教室の開催など、積極的に麦食文化導入を実施した。お陰で我々の食文化は膨らみを増した。
当時生産過多状態にあった米国の小麦の一大消費地としての日本があったことは紛れもない事実とは考えられないか?
農地解放についても、一部の豪農の保有する農地を多くの小作人に分け与え、国民総中流社会の実現をみる大きな転機となったが、一方で、その後平成の時代まで保有限界とされた、2町歩(2ヘクタール)で生産可能な米はおおよそ金額にして2百万円一寸。
最近では、米の自主流通も出来るようになったが、政府で米価と耕地面積が規制されては、競争原理も働かず、農業の振興が可能なはずはないだろう。
一方で、機械化により耕作可能面積が増え、産業復興と共に2次産業等他の事業従事者の平均所得が増え、貨幣経済がどんどん進む時代にあっては、天候等数々のリスクを抱えながら専業農家から兼業農家へ兼業農家から離農へ繋がるのは自明の理である。
そして、極めつけは、日本国民の食生活として、パン食を始めとする小麦、牛肉など西洋食文化がしっかりと根付き(それは小学生のときから、毎日食べていますからねえ)、農家同士の競争も競争力もなくなったところに、貿易摩擦の解消と称して、米国がそれまでお家芸のように行ってきた保護貿易…関税障壁の撤廃要求が来る。
完全に米国の長期政策通りでは?と考えるのは私だけであろうか?
確かに相当今回のコメントが偏っていることは筆者自身も自認するところであるが、あながち大はずれということもなかろう。
食の安全、食の自給率が国力に繋がること(これは大東亜戦争にて当時の国民が心底味わってきた苦い経験)、そして輸入食材がなければ成り立たない我々の食卓。もう一度、政府だけでなく、市民が真剣に取り組まなければならない問題ではなかろうか?
次は必ず、工業製品で同じ波がやってくる。今度は米国の政策ではなく、日本人そして、日本企業が自ら撒いた種がすくすくと芽生えている。



