2月26日 72年前は?
2月26日、今から72年前の今日、日本の歴史上非常に重要な事件が起きている。二・二六事件である。
以前に私の見た歴史映画の中では、その日は、雪がシンシンと降る夜であったような記憶がある。今日も、天候は曇っており、これから、降らなければいいが…
二・二六事件といえば、欧米列強の狭間で苦しみ、国際協調の道を探ろうとしていた当時の政府に対して、陸軍士官・下士官が立ち上がって起こしたクーデター。岡田首相を始めとする政府閣僚他を襲撃し、3名の閣僚・高官を銃殺、一時東京中心部を占領、この事件をきっかけに軍国化への道を更に…といった歴史観があろう。
しかし、北一輝に心酔した、安藤輝三以下の陸軍将校、下士官は、どんな気持ちで事件を引き起こしたのだろうか?また、1,400名を超える現役兵士は何故整然とクーデターを起こし首都を占領出来たのだろうか?
もう少し事件を詳しく見ていくと、2月26日未明に複数の閣僚・高官をターゲットにした反乱軍は、それぞれ将校の率いる隊に分かれて岡田首相を始め7名の閣僚や高官を襲撃。
結果として、高橋是清蔵相(第20代総理)、斉藤実内大臣、渡辺陸軍教育総監を殺害、後の首相である鈴木貫太郎侍従長は重症を負い、九死に一生を得る。岡田首相、牧野前内大臣、後藤内務大臣は奇跡的に難を逃れる。
その後、反乱軍は陸軍省を始め参謀本部、朝日新聞東京本社などを襲撃、永田町・霞ヶ関を始めとする東京の中枢部を制圧、占領した。
そして、「下士官兵ニ告グ…」に始まる降伏勧告を自分たちの奉ずる天皇陛下の勅命と捉えて、自分たちの占領した、東京首府を放棄し、3日後に反乱軍が投降し事態は漸く収束に向かう。
軍事的に考えれば、これを制圧することは当時の政府としてもかなり厳しい事態であったかもしれないし、何よりも更に多くの貴重な血が流れたことであろう。
これを一部の反乱分子によるクーデターと済ませるには、何故か疑問が残って仕方がない。1,400名という動員数、手際よい暗殺と占領、襲撃の正確性…彼らに協力した多くの民間人と、黒幕と称される政府高官や軍部高官。
正否は別として、天皇制と言いながら、それを取り巻く政府閣僚の不透明な政治への不満や、天皇制を「親政」であるべきとする純粋な気持ち、国を純粋なものにしようとする何かがあったのではと思えてならない。
確かに、3名もの閣僚高官を失い…歴代宰相として、そして稀有の蔵相として名高い高橋も散る…多くの警護の警察官や憲兵、民間人が犠牲となり、20代〜30代の十数名に及ぶ事件首謀者及び民間人が刑死もしくは自決により命を落とした。
非常に悲しい事件であるが、しかし、憂国の想いから、純粋に昭和威信断行・尊王討奸を掲げ、危険を顧みず、国家のためになると信じて起こしてしまったクーデター。
当時の時代背景として、昭和恐慌の爪あとが生々しく残り、中国出兵は泥沼化し、日本は孤立への道を歩みながら、それでも、外圧への妥協と戦争の判断が出されない現状。大東亜戦争会戦の5年前。国民の疲弊が慢性化してきている現実。
正しいとは断じていえないが、その姿を否定だけの判断で済ませることが出来ないのは私だけであろうか?
勿論、武力ではなく、言論に訴え、話し合い、事態の妥結を図ることが重要なのは当然だ。ただ、現代において、彼ら反乱兵士…或いは反乱兵士の存在を知りながら、散っていった政治家などのように、滅私、そして国家に一命を報じる覚悟を持った人がどれだけいるのだろう?と考えると今の平和ばかりを一途に喜ぶばかりではいられないのでは?と思えてくる。
よく、幕末の志士というもの…例えば、坂本竜馬であるとか、西郷隆盛…などなどの憂国の情を賞賛し…確かにやり方やら、考え方も受け入れやすいのだが…時代背景を考えるとこの事件も少し似た部分があるような気がしてならない。
それから72年後、我々はどうだろう?勿論武力は絶対駄目としても、自分だけ…といった個人主義を掲げているだけでよいのかどうか?自らを見つめなおすべきではないか?
「私」ではなく、「公」を考える、必要なこととは思えないだろうか?
国粋主義とか、軍国主義を推奨するわけでは決してないので、誤解しないでほしいのだが。
以前に私の見た歴史映画の中では、その日は、雪がシンシンと降る夜であったような記憶がある。今日も、天候は曇っており、これから、降らなければいいが…
二・二六事件といえば、欧米列強の狭間で苦しみ、国際協調の道を探ろうとしていた当時の政府に対して、陸軍士官・下士官が立ち上がって起こしたクーデター。岡田首相を始めとする政府閣僚他を襲撃し、3名の閣僚・高官を銃殺、一時東京中心部を占領、この事件をきっかけに軍国化への道を更に…といった歴史観があろう。
しかし、北一輝に心酔した、安藤輝三以下の陸軍将校、下士官は、どんな気持ちで事件を引き起こしたのだろうか?また、1,400名を超える現役兵士は何故整然とクーデターを起こし首都を占領出来たのだろうか?
もう少し事件を詳しく見ていくと、2月26日未明に複数の閣僚・高官をターゲットにした反乱軍は、それぞれ将校の率いる隊に分かれて岡田首相を始め7名の閣僚や高官を襲撃。
結果として、高橋是清蔵相(第20代総理)、斉藤実内大臣、渡辺陸軍教育総監を殺害、後の首相である鈴木貫太郎侍従長は重症を負い、九死に一生を得る。岡田首相、牧野前内大臣、後藤内務大臣は奇跡的に難を逃れる。
その後、反乱軍は陸軍省を始め参謀本部、朝日新聞東京本社などを襲撃、永田町・霞ヶ関を始めとする東京の中枢部を制圧、占領した。
そして、「下士官兵ニ告グ…」に始まる降伏勧告を自分たちの奉ずる天皇陛下の勅命と捉えて、自分たちの占領した、東京首府を放棄し、3日後に反乱軍が投降し事態は漸く収束に向かう。
軍事的に考えれば、これを制圧することは当時の政府としてもかなり厳しい事態であったかもしれないし、何よりも更に多くの貴重な血が流れたことであろう。
これを一部の反乱分子によるクーデターと済ませるには、何故か疑問が残って仕方がない。1,400名という動員数、手際よい暗殺と占領、襲撃の正確性…彼らに協力した多くの民間人と、黒幕と称される政府高官や軍部高官。
正否は別として、天皇制と言いながら、それを取り巻く政府閣僚の不透明な政治への不満や、天皇制を「親政」であるべきとする純粋な気持ち、国を純粋なものにしようとする何かがあったのではと思えてならない。
確かに、3名もの閣僚高官を失い…歴代宰相として、そして稀有の蔵相として名高い高橋も散る…多くの警護の警察官や憲兵、民間人が犠牲となり、20代〜30代の十数名に及ぶ事件首謀者及び民間人が刑死もしくは自決により命を落とした。
非常に悲しい事件であるが、しかし、憂国の想いから、純粋に昭和威信断行・尊王討奸を掲げ、危険を顧みず、国家のためになると信じて起こしてしまったクーデター。
当時の時代背景として、昭和恐慌の爪あとが生々しく残り、中国出兵は泥沼化し、日本は孤立への道を歩みながら、それでも、外圧への妥協と戦争の判断が出されない現状。大東亜戦争会戦の5年前。国民の疲弊が慢性化してきている現実。
正しいとは断じていえないが、その姿を否定だけの判断で済ませることが出来ないのは私だけであろうか?
勿論、武力ではなく、言論に訴え、話し合い、事態の妥結を図ることが重要なのは当然だ。ただ、現代において、彼ら反乱兵士…或いは反乱兵士の存在を知りながら、散っていった政治家などのように、滅私、そして国家に一命を報じる覚悟を持った人がどれだけいるのだろう?と考えると今の平和ばかりを一途に喜ぶばかりではいられないのでは?と思えてくる。
よく、幕末の志士というもの…例えば、坂本竜馬であるとか、西郷隆盛…などなどの憂国の情を賞賛し…確かにやり方やら、考え方も受け入れやすいのだが…時代背景を考えるとこの事件も少し似た部分があるような気がしてならない。
それから72年後、我々はどうだろう?勿論武力は絶対駄目としても、自分だけ…といった個人主義を掲げているだけでよいのかどうか?自らを見つめなおすべきではないか?
「私」ではなく、「公」を考える、必要なこととは思えないだろうか?
国粋主義とか、軍国主義を推奨するわけでは決してないので、誤解しないでほしいのだが。



