FC2ブログ

2019-01

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

8月15日に終戦できなかった悲劇とは?

先日、8月15日に63回目の終戦記念日を迎えたとブログに記載させてもらったが、実は、それ以降も戦争が続いていた部分が…というより、一方的に我国は攻め続けられていたことをご存知だろうか?

 それは、1945年8月9日にソ連が日本に対して、日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告を行い、満州帝国や、当時日本領であった、朝鮮北部、樺太、千島列島に対して一方的な侵攻、略奪を開始したということである。

 そもそも、日ソ中立条約とは、1945年4月に当時の中ソ大使である東郷重徳(後の外務大臣、極東軍事裁判にて禁固20年、服役中に病死)を中心に当時の外相松岡洋右が締結した。

 アメリカ、中国を中心に孤立化が進んでいた我国は、イタリア、ドイツとともに三国同盟を締結する一方、北方からのソ連の侵攻を防ぐ為に条約締結をしたが、相手国のソ連にとっては、ドイツのソ連侵攻が容易に予測できた為、我国が極東地域から侵攻することを恐れ、条約締結がなされた。

 この条約は、期間5年。期限満了の1ヵ年前に条約の破棄の通告があれば条約期間満了と共に、条約解除となり、破棄が無ければ6年目以降も5年毎に自動更新される内容であり、1945年2月に米英ソによるヤルタ協定が秘密裏に締結されていたソ連は1945年4月に条約破棄を通告してきた。(これにより1946年4月以降条約解除となる)

 1945年5月にドイツが降伏し、我国の敗戦色が濃厚となった1945年8月9日にソ連は一方的に参戦、満州帝国や、当時日本領であった朝鮮北部に侵攻を開始、我国は中立国を通じて8月14日に降伏声明を出すも、無視し、8月16日には樺太侵攻、18日には千島列島に侵攻し、占領を続けた。

 ソ連の参戦の理由は、日本領となっている千島・樺太の略奪と朝鮮半島の占領にあり、それは、ヤルタ協定により、秘密裏に英米の了解を得ていたことにある。アメリカはソ連の侵攻前に戦争終結を図るべく、広島・長崎に原爆を投下し、我国の降伏を促したという見解もある。

 しかし、ヤルタ協定により、ソ連の日本侵攻は了解を得ていた為、その後東京で開かれた、極東軍事裁判では、連合国側は、ソ連侵攻を合法的なものとして規定せざるを得なかった。このことからも、極東軍事裁判が戦勝国による戦勝国の為の一方的な裁判…という名を借りたリンチであったこともうかがい知れる。

 さて、この国際条約を全く無視した一方的なソ連の参戦…この代償は我国にとって非常に大きな代償を伴うものとなってしまった。

 北方領土問題が現在起きているのもそれに起因するが、何よりも大きな代償は、満州帝国に駐留していた我国の将兵、そして在満州民間人等の男性が悉く捕虜となり、シベリアに抑留、強制労働を強いられるに至ったことである。

 参戦、侵攻に当たっても、占領地域で非武装となった、日本人の婦女子の悲惨さも伝えられるし、また、略奪行為も目を覆うばかりのものであったようだが、この数日の軍事行動の代償として、シベリアに抑留された、我国民は65万人とも、200万人とも言われる。

 そして、1947年から、最長で1956年(約11年間)にわたる厳寒の地シベリアで、劣悪な条件で行われた強制労働により、約1割の6万人(一説では37万人)の犠牲者を出してしまったのである。

 一方的に我国の軍国主義が悪く、それにより引き起こしてしまった戦争…悲劇の連続…確かにそういう側面も無きにしも非ず、かもしれない。

 しかし、果たしてその当時、我々の祖父や曽祖父は何を考えていたのだろうか?そしてそれは、本当に我国の、自分たちの祖先が一方的に罪悪を作り上げていったものなのだろうか?

 そして、アメリカ、ソ連など、戦勝国は本当に正しかったのだろうか?
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://kiryujc.blog52.fc2.com/tb.php/132-c4858f9c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

プロフィール

Gtarou

Author:Gtarou
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。